2013年03月

またもや長文シリーズ(≧∇≦)

今晩わ〜\(^o^)/ 寝なくても大丈夫な男、渋谷だ〜(≧∇≦) 昨日の長文ブログ読んでくれたかな〜?(笑) 今日も長文シリーズ第二弾行きまっせo(^▽^)o またもやfacebookからの引用で申し訳ないが、 今回の記事は誰もが行った事は一度はあるんじゃないかな?という、日本屈指の楽園、テーマパークと言えば… そうTDR‼東京ディズニーリゾートのお話しさ( ´ ▽ ` )ノどうぞご覧あれ! 震災当日来園した7万人もの人々が感謝している。3月11日、午後2時46分。「夢の国」であるデイズニ‐ランドで楽しいひと時を過ごしていた人たちは…突然襲う激しい揺れ。「これもアトラクションのひとつか?」と思った人もいたかもしれない。しかし、収まるらない揺れにようやく自分たちが大地震に見舞われたことがわかった。そうなったが最後、人は大きく動揺する。泣き叫ぶ子供たち。その場から逃げようと無我夢中になる人々。広い園内が大パニックに陥ろうとしたそのとき、場内に男性のアナウンスが流れた。震災発生カから約40秒が経過していた。「皆様におしらせいたします。ただ今、地震がありました。建物のそばにいらっしゃる方は建物から離れて広いところでお待ちください」「地震と園外の状況は、確認が取れ次第、ゲスト(来園者)の方々におしらせします」そして、沈着冷静に行動する1万人のキャスト(従業員)たち。「頭を守ってしゃがんでください!「どうぞ その場から動かず、お座りになってください!」と声をかけながら、不安で怯(おび)える来園者に駆け寄り、心身のケヤを行う。これが、7万人もの来園者を一切混乱させず、無事避難誘導した東京デイズニ‐リゾートのキャスト(従業員)たちの活躍の始まりだった。東京デイズニ‐ランドでは、震度6、来場者10万人を想定した防災訓練を、年間実に、180日行っている。加えて、5万人が3~4日過ごせるだけの食糧を備蓄している。万が一の事態が起こり、客が怪我をしたり、最悪の死という状況に至ったりすれば、「夢の国」のブランドが嘘になる。想定外を想定内にしておく備え。それがあってこそ、日常を忘れて虚構世界に浸ってもらうことが可能になる。それが本当の安心・安全。「全てはゲストのため」。その哲学がスタッフ一人ひとりに浸透していた。午後3時22分には社長をトップとする「地震対策本部」が設置された。ディズニーランド、ディズニーシー統括責任者→エリア統括者→アトラクション責任者→スタッフの順にピラミッド型に構成される。これにより、現場の判断と指揮命令がスムーズに行き来し、全社員が総力を上げて事態に対応することができた。現場レベルで判断できない重要事項を総括本部が決定する間、全従業員の90%を占めるアルバイトスタッフが各々の活躍を見せた。あるスタッフは店頭のぬいぐるみ「ダッフイ‐」を持ち出し「これで頭をお守りください」と差し出した。防災ずきん代わりに使用してもらうためだ。別のスタッフは、店頭販売のクッキーやチョコレートを無料で配布。「必ず皆様のお手元に届けますので、その場に座ってお待ちください」と、混乱が起きないように声をかけながら。これらの行動は、誰からも命令されていない。独自に作った地震対策基本計画に基づく防災訓練で、使えそうなものは なんでも使用してよく、ゲストの安全確保のためには、たとえ店舗の商品であっても率先して提供してよいとされている。それを受け、各スタッフが自分なりに動いたのだ。夕方、ディズニーランドには、雨が降り出し、気温10度までに冷え込んできた。その際もスタッフたちは自主的に行動した。お土産用のビニール袋や青いゴミ袋を雨カッパ用に提供、それでも足りなかったため、ダンボールまで取り出した。ゴミが散乱して園の美観が損なわれることは、「夢の国」にあってはならない。普段は食料の持参を禁止するほど、景観維持を徹底している。なのに、美観を汚すことしかならないダンボールを持ち出した。スタッフたちが、いかに来園者の安全第一に考えていたかがわかる。心のケアもスタッフたちは忘れていない。お土産袋を渡しながら「皆さん、お土産袋お持ちですか?そして皆さん、お土産袋に″隠れミッキー″(ミッキーマウスの形)がいるっていうのは ご存知ですか?よろしければ探してみてください」と声をかけたスタッフ。また、シャンデリアの近くにいたため、余震の恐怖に怯える子供たちには、「皆さん大丈夫です、僕はシャンデリアの妖精ですから。なにがあっても皆さんを守ります、大丈夫です」と明るく笑顔で話した。スタッフだけではない。「夢の国」を支える肝心のキャラクターたちも大活躍。地震発生直後、パレード中だったウエストランドではパレード車が緊急停止。自分で車から降りられない状態に。しかし、ミニーや妖精の外国人たちは、救出されるまでの数十分間、来園者たちに手を振り続けた。スタッフ、キャラクターの冷静かつ愛情あふれる行動が、不安の絶頂にある人々を勇気付け、なぐさめた。夜,帰宅できない,2万人がここで一夜を過ごすことになった。まだ交通機関が不通になっている。そんな状態で園外に出れば多くの人が路頭に迷ってしまう。ならば園内で十分に休んでもらい、外の状況が落ち着いてから帰宅してもらおうという判断によるものだ。早く来園者を建物内に入れたい。しかし、そのためには、建物の安全確認が必要だった。そこで、先に、点検が済んだディズニーシーへ移動してもらうことに。普段、ランドとシ‐への行き来は、ディズニーリゾートラインという乗り物を使用する。だが当然、電気の供給は止まっているから動かせない。一般道路を歩いての移動は 大きく回り道になるし、その上 液状化現象を起こしている。そこで、開園以来28年間守ってきた掟を統括本部は破ることに。従業員専用のバックヤ‐ドと呼ばれる通路の開放である。これにより、短距離でかつ安全にディズニーシーへと移動することができる。そこは、配線や基盤がむき出しになった工場のような空間。「夢の国」を支える裏側を見せることは…。しかし、スタッフが開ける扉の先に広がる光景に来園者は目を奪われた。何百人ものスタッフがペンライト片手に両サイドに並び、光の道を作っていたのだ。2つの「夢の国」をつなぐために開放された無機質空間が、突如感動的な演出により、夢の通路へと変貌した。来園者の安全を最大限に確保しつつ、「夢の国」のイメージも演出する。ディズニーランドが見せた、プロが成せる術であった。支給された毛布を使用し、無事に2万人は夜を過ごした。非常食の温かい「ひじきご飯」も ふるまわれた。こうして、東京ディズニーランドでの長い一日が終わった。その後、4月15日まで東京ディズニーランドは閉園した。再開時には、ミッキーやミニーとの再会を待ちわびたファン1万人が列を成した。ディズニーランドとディズニーシーを合わせ、年間来場者数は 約2500万人を誇る。その驚異的な来園記録を維持する秘密が、今回の震災対応で明らかとなった。 ど〜だい?キュンとくるだろ〜?…>_<... またのお楽しみをヾ(@⌒ー⌒@)ノ

衝撃!!(T_T)

こんにちわ、渋谷でやんす\(^o^)/

僕はかれこれ2年くらいfacebookをしてますが、先日うなずいたらシェアっていうページのある記事に思わぬ衝撃を受けました・・・

色んな事を考えさせられました・・・

45,376人の方にシェアしていただき、70万人を超える方からいいね!の記事でした・・

かなりの長文になりますが、最後まで読まれた方はまた感想聞かせて下さい♪

 

仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。

僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」

その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!

その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。

朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。

僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。

僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろう
僕は単純にそう考えていた。

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

そして最後の朝、

妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。

僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」

そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」

「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』

その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!

出迎えてくれた妻は

ベッドで冷たくなっていた。。。。

何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。

妻が「ガン」であったことさえも。

ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻が
この数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。
日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは
大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、
そんなものの中にあるのではないということを。

もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら
毎日がどんなに忙しくても
どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを
心を通わせる時間を
大切にしていっていただきたいと思います。

ホームページリニューアル♪

 
 

渋谷です\(^o^)/

もうすでにお気づきの方もおられると思いますがunpeu hairのホームページがリニューアルしました〜(≧∇≦)

ブログもこれからはスタイリスト別にカテゴリー分けもしてお客様も見たいスタイリストだけを見る事も可能ですo(^▽^)o

話は変わりますが、昨日はアンプの入社式でした♪
新入社員が2人入りました( ´ ▽ ` )ノ
またブログなどでもご紹介しますね^o^

20133261396.JPG

そして昨日の入社式で使ったPVを特別に皆さんにもお見せしちゃいます(笑)どうぞご覧あれ( ^ω^ )
  
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Ozz1xnp4HAk
 

BLOG はじめました。

平素は当サイトをご愛顧賜り、誠にありがとうございます。
今後とも多くのみなさまにご利用いただけるよう、ブログを更新していきますのでよろしくお願いいたします。